「テストで100点取ったら、ゲーム買ってあげる」。
これを言うべきか、我が家はずっと迷ってきました。言えば、たぶん一時的にはやる。でも、なんだか違う気もする。前に「プロセスを褒める」という記事を書いたとき、ごほうびの危うさに少しだけ触れたのですが、今回はそこを、もう少し腰を据えて考えてみます。子どものやる気は、どういう仕組みで動いているのか。調べたことを、我が家に当てはめながら書いていきます。半分は、自分の頭の整理でもあります。
そもそも、やる気には2種類ある
やる気には、大きく2つあるそうです。面白いからやる「内発的動機づけ」と、ごほうびや罰でやる「外発的動機づけ」。
ごほうびは、後者です。問題は、この外発のごほうびが、しばしば内発のやる気を食ってしまうことにあります。
ごほうびが、やる気を壊すことがある(アンダーマイニング効果)
有名な実験があります。もともとパズルを楽しんでやっていた人たちに、「解けたらお金をあげる」と報酬を出すようにしたら、報酬をやめたとたん、前ほどやらなくなった。お金をもらえなくなった瞬間に、やる気まで消えてしまった。これがアンダーマイニング効果です。
目的が「パズルを楽しむこと」から「お金をもらうこと」にすり替わってしまうから、と説明されます。
我が家に当てはめると、こわい話です。「○点取ったらゲーム」を続けると、ゲームがもらえないなら勉強しない子になりかねない。もともと持っていたかもしれない「分かると面白い」という芽を、ごほうびで踏んでしまう。
でも、ごほうびにも「良い顔」がある
では、ごほうびは全部ダメなのか。調べると、そう単純でもありませんでした。
デシとライアンという研究者の「自己決定理論」では、人のやる気には3つの欲求が関わるとされます。自分で決めたい(自律性)、できると感じたい(有能感)、誰かとつながっていたい(関係性)。
ここで大事なのが、同じごほうびでも2種類あること。「やらせるための報酬(統制的)」は自律性を奪うので、やる気を下げる。一方、「よくできたね、と”できた”を伝える報酬(情報的)」は、有能感を満たすので、やる気をむしろ支える。
つまり、モノで釣る報酬より、言葉での承認のほうがいい。「ちゃんとできたね、ここ工夫したね」という声かけは、やる気を高める方向に働く(エンハンシング効果と呼ばれます)。前の記事で「過程を褒める」と書いたのは、まさにこれでした。
外発から内発へは、少しずつ移れる(機能的自律)
もうひとつ、救いのある話がありました。
自己決定理論では、外発的なやる気にも段階があるとされます。「言われたからやる」→「やらないと気持ち悪いからやる」→「自分にとって大事だからやる」→「自分の一部だからやる」。だんだん「自分ごと」になっていく、グラデーションがある。
オールポートという心理学者は「機能的自律」という考え方を残しました。最初はごほうび目当てで始めた行動が、続けるうちに、それ自体が目的になっていく、という現象です。
だから、ごほうびを完全に否定しなくていい。「入り口」として使うのはアリなんです。最初は「終わったらおやつ」でも、続けるうちに勉強のリズムそのものが体に馴染めば、しめたもの。報酬は、内発のやる気へ橋を架けるための、足場として使う。
ごほうび以上に効くのは、「結果の受け止め方」
ここからが、調べていていちばん腑に落ちたところです。
ワイナーという研究者の「原因帰属理論」。テストの結果を、子どもが何のせいにするか、という話です。原因の置き方は大きく4つ。能力・努力・課題の難しさ・運。
このうち「努力」は、自分で変えられる。だから「努力が足りなかった」と受け止めた子は、次に向かえる。一方「能力」は、自分では変えられない。だから「自分は頭が悪いから」と受け止めた子は、だんだん諦めていく。
これは、ドゥエックの「成長マインドセット」とも重なります。能力は伸ばせると思える子は挑戦し、能力は固定だと思う子は、難しい問題を避けるようになる。
我が家での当てはめは、はっきりしています。「頭いいね」(能力をほめる)でなく、「やり方を変えたのが効いたね」(努力・工夫をほめる)。点が悪かった日も、「次はどこを変えてみる?」と、自分で動かせる部分に目を向けさせる。
いちばん怖いのは、やる気が枯れること(学習性無力感)
そして、避けたい一番の状態が、これでした。
セリグマンという研究者の「学習性無力感」。何をしても結果が変わらない状況が続くと、人は「やっても無駄だ」と学習してしまい、できることすら諦めるようになる。
失敗を「自分の能力のせい」と受け止め続け、しかも成功体験がない。これが積み重なると、無力感の沼にはまります。難しすぎる問題ばかりやらせたり、結果だけを責め続けたりするのは、この沼への最短ルートです。
逆を育てるのが、バンデューラの言う「自己効力感」。「やればできそう」という感覚です。これは、小さな「できた」の積み重ねで育ちます。だから我が家は、難しい問題を小さく刻んで、「できた」の回数を増やすことを意識しています。1問解けた、昨日より進んだ。その小さな手応えが、やる気の燃料になる。
ほんとうは、ごほうびがいらない状態が理想(フロー)
最後に、目指したい状態の話を。
チクセントミハイの「フロー」という概念があります。課題の難しさと、自分の実力がちょうど釣り合ったとき、人は時間を忘れて没頭する。ごほうびがなくても、それ自体が楽しい状態です。
子どもがゲームに何時間でも没頭できるのは、まさにこれ。難易度が絶妙に調整されているからです。だとすれば、親の仕事は、ごほうびを盛ることより、勉強の難易度をその子に合わせて調整すること。簡単すぎず、難しすぎず。没頭できる手前まで持っていければ、ごほうびはいらなくなる。
我が家がたどり着いた答え
長々と書きましたが、我が家の結論はシンプルです。
ごほうびは、悪ではない。でも、主役にはしない。使うなら、こうします。
- モノで釣るのは「入り口」だけ。控えめに、そして結果でなく取り組んだことに対して。
- 「○点取ったら」で釣らない。点数とごほうびを直結させない。
- できたことは、具体的に言葉で承認する(有能感)。
- 結果は、能力でなく努力・やり方に帰属させる。
- 難易度を刻んで、小さな「できた」を積む(自己効力感)。
- お小遣いと勉強は、完全に切り離す(前に書いた自己決定の記事のとおり)。
考えてみれば、これは投資とも同じです。短期のごほうび(今日の含み益)を追いかけるより、続く仕組みと「自分で決めた」という納得感のほうが、最後に効く。
子どものやる気は、外から与えるものというより、もともとある芽を、壊さないように守るもの。そう考えるようになってから、「ごほうびで釣るべきか」という問い自体が、少しほどけた気がしています。
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