「やればできる」は、なぜ子どもの口を閉じさせるのか

「やればできるよ」と言ったとき、次女は「でも…」とつぶやいて、鉛筆を置きました。

またこれだ、と思いました。宿題の前で固まっている次女に、よかれと思って声をかける。すると逆に手が止まる。励ましたはずなのに、その言葉を合図にしたみたいに動かなくなる。何度も見てきた光景です。

ためしに同じ言葉を、隣で同じように手こずっていた長女にかけてみます。長女は少し迷ってから、鉛筆を握り直しました。

同じ親が、同じ言葉を、ほとんど同じ場面でかけている。なのに、こうも違う。励ましが効く子と、励ましで黙る子がいます。その差はなんなんだろう、とずっと引っかかっていました。

そのすれ違いに名前がついていると知ったのは、しばらくあとのことです。

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親が「伸びる」と信じた子は、本当に伸びた

1960年代、ローゼンタールという心理学者が、ある小学校で実験をしました。

教師に一枚のリストを渡します。「この子たちはこれから成績が伸びます」。ただし、そのリストは中身が空っぽでした。伸びる根拠なんてなく、ただランダムに選ばれた子どもたちの名前が並んでいただけです。

それでも一年後、リストに載っていた子たちの成績は、実際に上がっていました。

これを読んだとき、少しびっくりしました。教師は何も仕掛けていません。特別な教材も、特訓もない。ただ「この子は伸びる」と信じていただけで、その子が本当に伸びてしまった。期待が、現実をつくったわけです。

これをピグマリオン効果といいます。自分の彫った像に恋をして、その像が人間になったというギリシャ神話の彫刻家の名前から来ています。

そして、この話には裏側があります。ゴーレム効果です。「どうせこの子は無理だろう」という低い期待が、子どもをその通りに育ててしまう。ゴーレムは、外から与えられた命令でしか動けない泥人形のことです。

つまり、親の見方ひとつで、子どもはピグマリオンにもゴーレムにもなる。怖い話だと思いました。

「やればできる」に張りついているもの

応援しているのに、どうして逆に動かなくなるのか。

たぶん、「やればできる」という言葉には、言っていない部分があります。「今はできていないけど」です。表向きは励ましでも、その裏に「あなたはまだできていない」という採点がそっと張りついています。

次女は、その張りついたほうを受け取っていたんだと思います。

次女には、完璧でないと始めたくない、というところがあります。失敗するくらいなら手をつけない。だから「でも…」は反論じゃなくて、たぶん身構えです。できなかったときのために、先に逃げ道をつくっている。普段から言い訳が多いのも、たぶん根は同じで、間違えるのが怖いのだと思います。

そこへ「やればできる」と言うと、逃げ道がふさがれます。やったのにできなかったらどうしよう、という圧がかかる。励ましのつもりが、いちばん触れてほしくないところを押していました。

長女は、同じ言葉でも受け取り方が違います。間違えてもわりと平気で、結果をそのまま受け止める強さがある。だから「やればできる」が、ちゃんと背中を押す言葉として届きます。

言葉そのものより先に、その言葉を受け取る子がどういう子なのか。当たり前のことなのに、つい忘れてしまいます。

期待は、言葉じゃないところから漏れる

ローゼンタールの実験でいちばん怖いのは、教師が意識して何かを変えたわけではない、という点です。

「この子は伸びる」と思って接すると、知らないうちに態度が変わります。目を合わせる回数が増える。うなずきが増える。少し難しい問いを投げてみる。できなくても、もう少し待ってみる。その積み重ねが、子どもに伝わっていきます。

たぶん親も同じです。

「どうせまたやらないだろうな」と思いながら声をかけると、言葉だけ優しくても、どこかから漏れます。待つ時間が短くなる。視線が他のことへ向く。次に言うことが、もう口の中に用意されている。子どもはそれを、ちゃんと読みます。

「やればできる」と口で言いながら、心の隅で「でもこの子はやらないだろう」と思っていたとしたら。届くのは、どっちなんでしょう。そう考えると、声かけの言葉を磨くより先に、自分が子どもをどう見ているかのほうが、よっぽど効いている気がしてきます。

いま、家でやっていること

長女には、やったことと努力を、そのまま声に出して返すようにしています。「ここまで書けたじゃん」「昨日より速くなったね」。結果じゃなくて過程を言葉にすると、長女はすごく素直に喜びます。顔がぱっと変わるのがわかります。

次女には、まだ手探りです。

自分の意見を言うのをためらう癖があって、「どう思う?」と聞いても、最初は黙ってしまう。完璧な答えが浮かんでから話そうとして、結局言えなくなるようです。だから今は、答えを求めない声かけから入るようにしています。「これ難しいね」「どこで詰まってる?」。正解を引き出すための質問じゃなくて、隣にいるよ、という合図みたいな言葉です。

ここは間違えてもいい場所なんだ、と少しずつ伝わってきたのか、最近は次女のほうから「これどうやるの?」と聞いてくることが増えました。自信がついてきたのか、できることもじわじわ増えています。完璧じゃなくても口を開けるようになってきた、というのが、いちばんの変化かもしれません。

正解の声かけが見つかったわけではありません。今もあれこれ試しています。

言葉を探す前に

「こう言えば子どもは動く」というマニュアルは、正直あまり信じていません。

長女と次女に同じ言葉をかけて、これだけ違って届く。それを毎日目の前で見ていると、どんな子にも効く魔法の言いまわしなんて、ないんだとわかります。型より先にあるものがある。

この子は何を怖がっているのか。何を言われると嬉しいのか。それを見ようとしているかどうかが、口から出る言葉の前にあります。

ローゼンタールの実験が示したのも、結局そこだと思います。「伸びる」と信じた教師が変えたのは、教え方じゃない。子どもを見るまなざしのほうでした。

だから「やればできる」をやめました。代わりの正解はまだ持っていません。ただ、この子をちゃんと見ること。たぶん、始まりはそこにしかない気がしています。


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