家事分担を決めたのに、なぜまたモヤモヤするのか。問題は分担表じゃなかった

家事分担を、きちんと決めたはずなのに。

しばらくすると、また、どちらからともなくモヤモヤが漂ってくる。そういう経験は、ありませんか。我が家にも、あります。正直に言うと、今でも、なくはありません。

以前、夫婦の家事分担を表にして書き直した話を書きました。そのとき分かったのは、分担表をきれいに作っても、それだけでは解決しない、ということでした。むしろ「決めたのに、なぜか揉める」のほうが、ずっと根の深い問題だったんです。

今日は、その「決めたのにうまくいかない」の正体について書きます。

目次

原因は、分担の決め方ではなかった

結論から書きます。うまくいかない原因は、分担の割り方ではありませんでした。「見えていない家事」が、そもそも表に乗っていないからです。

皿を洗う、洗濯を回す、ゴミを出す。こういう「目に見える家事」は、分担表に書けます。でも、家事の本体は、じつはその手前にあります。

洗剤が切れそうだと気づくこと。子どもの提出物の期限を覚えておくこと。週末の予定から逆算して、買い物の量を決めること。誰かの誕生日が近いと気づくこと。これらは、「やる」前の、「気づく・覚えておく・段取りする」という、頭の仕事です。

最近は、これをメンタルロード(心の負担)と呼ぶそうです。私は、もっと素朴に「考える家事」「管理する家事」と呼んでいます。皿洗いそのものより、「そろそろ洗剤を買わなきゃ」と頭の片隅でずっと覚えていることのほうが、地味に重い。そして、この管理の家事は、分担表には絶対に乗りません。だから、表をどれだけ公平に作っても、見えない負担が片方に偏っていると、モヤモヤは消えないわけです。

夫婦の貢献度を足すと、100%を超える

もうひとつ、知って膝を打ったことがあります。

夫婦それぞれに、別々に「あなたは家事の何割をやっていますか」と聞くと、二人の答えを足すと、だいたい100%を超えるのだそうです。120%や130%になることも、珍しくないらしい。

理由はシンプルで、自分がやったことは、よく覚えているからです。自分が皿を洗った記憶は鮮明でも、相手がいつ洗剤を補充したかは、見ていないから記憶にない。人は、自分の貢献を多めに、相手の貢献を少なめに見積もる。これは性格の問題ではなく、誰の頭でもそうなる、構造的なクセなのだそうです。

つまり、家事をしている側が「自分のほうがやっている」と感じて不公平感を抱くのは、ある意味で当たり前。しかも、それは夫も妻も、同時に感じている。どちらかが嘘をついているわけではなく、二人とも正直なだけなんです。これが分かってから、「自分ばっかり」という感覚に、前ほど振り回されなくなりました。

「手伝う」という言葉に隠れているもの

ここで、言葉の話を少しだけ。

「家事、手伝おうか」と言うとき、その言葉の奥には、「これは本来きみの仕事だけど」という前提が、こっそり隠れています。手伝う、という言葉そのものが、相手を主担当に、自分を補助の立場に置いている。

以前、子どもへの声かけに無意識の前提が紛れ込む話を書きましたが、夫婦のあいだでも、まったく同じことが起きています。「手伝おうか?」は、優しさのつもりで、じつは役割の偏りを固定してしまう言葉なのかもしれない。我が家も、気をつけているつもりで、ときどきやってしまいます。

我が家の家事は、流動的です

ちなみに、我が家の家事は、その日の状況でけっこう流動的です。

だいたいの傾向として、ぱっと決めればいいことや、皿洗いは私。料理は妻。掃除は、気づいたほうがやる。きっちり担当を固定しているわけではありません。

ひとつだけ、自分の中で決めているルールがあります。妻が何か家のことをしているとき、自分は座っていないようにする、というものです。どちらかが動いていて、どちらかが座っている。あの絵づらが、不公平感のいちばんの燃料だと思っているからです。やっている中身が完全に等価でなくても、「二人とも動いている」状態なら、不満は溜まりにくい。

特にこれを痛感したのは、子どもが生まれてからでした。乳児がいる時期は、授乳や夜泣きで、物理的にどうしても妻に負担が寄ります。そこに、予防接種のスケジュール、保育園の準備、体調の変化に気づくこと——「考える家事」が一気に増える。目に見える家事を半分こにしても、見えない管理の総量が増えているから、それだけでは追いつかない。3人目のときに、ようやくこれが腹落ちしました。見える家事を分けるだけでは、足りないんだ、と。

我が家が試している、3つのこと

では、どうするか。我が家が試してきた(そして、まだ試している途中の)3つを書きます。

その1:見えない家事を、見えるようにする

まず、頭の中にしかない「考える家事・管理する家事」を、外に出してしまう。

我が家は、カレンダー共有アプリに、予定だけでなく「提出物の期限」「ストックが切れそうなもの」まで書き込むようにしています。頭の中で覚えておく負担を、アプリに肩代わりさせる。日用品は、銘柄を固定して定期購入にして、なくなりそうなものは、その場でアレクサの買い物リストに言うだけ。「何を、いつ買うか」を考える家事を、丸ごと消しています。

これは、投資を「設定して忘れる」で自動化したのと、まったく同じ発想です。管理の家事は、相手に分けるより、仕組みに肩代わりさせるのが、いちばん揉めません。人に頼むと「言った・言わない」が生まれますが、仕組みは文句を言わないので。

その2:「担当」ではなく「オーナー」にする

これが、いちばん効いた考え方かもしれません。「皿洗いを手伝う」のではなく、「皿洗いは自分がオーナー(責任者)」と決めてしまう。

担当だと、どうしても指示を待つ立場になります。「洗剤なくなったよ」と言われて、動く。これだと、管理の家事—洗剤を切らさないよう気を配る仕事—は、結局、指示する側に残ったままです。でも、オーナーにすると、洗うことだけでなく、洗剤の補充も、スポンジの交換も、ぜんぶ自分の仕事になる。考える家事ごと、引き受けることになります。

我が家は、ゴミ出しをこのオーナー制にしてみました。最初は妻が「今日はゴミの日だよ」と教えてくれていたのですが、それも含めて自分の仕事だと決めた。曜日を覚えるのも、袋を切らさないのも、ぜんぶ。すると、妻が「ゴミの日だよ」と言う、その一言ぶんの管理の家事が、彼女の頭から消えました。目に見えないけれど、これはけっこう大きい変化でした。

その3:感謝を、気まぐれにしない

最後は、感謝です。やってもらって当たり前、になると、家事は一気にしんどくなる。でも、感謝は気まぐれだと続きません。気分のいいときだけ「ありがとう」では、仕組みになっていない。

我が家がやっているのは、相手がやったことに気づいたら、その場で口に出す、というだけのルールです。たいそうなことではありません。ただ、その1で家事を見えるようにすると、相手がどれだけやっているかが見えるので、感謝も自然と出やすくなる。可視化は、不公平感を減らすだけでなく、「ありがとう」の回数まで増やしてくれました。これは、思っていなかった副産物です。

結局、見えていないものを見えるようにする話だった

こうして並べてみると、家事分担の問題は、家事の「量」をどう割るか、の話ではありませんでした。見えていないものを、見えるようにする話だったんです。

表をどれだけ公平に作っても、見えない家事と、考える家事と、お互いへの過小評価が残っていたら、モヤモヤは消えない。逆に、それらを外に出して、仕組みに肩代わりさせて、お互いの貢献が見えるようにすれば、量がぴったり半分でなくても、不満はずいぶん減ります。

夫婦は、やっぱり共同経営だなと思います。会社でも、誰が何をやっているか見えない組織は、必ず揉める。家庭も同じで、ここも、気合や愛情の前に、まず仕組みで解決できる部分が、思っているよりずっと大きい。

完璧にできているわけではありません。今でも、たまにモヤッとします。でも、なぜそうなるのかが見えるようになってからは、そのモヤッを、二人で笑って片付けられるようになりました。それで、じゅうぶんなんだと思います。


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