「早くして」と毎朝言っている。その言葉が、子どもの口から返ってきた

ある朝、下の子に向かって、上の子がこう言いました。

「早くしてよ、もう」

その言い方が、自分にそっくりで、ぎくりとしました。声の高さも、語尾の投げやりな感じも、ぜんぶ私の朝の口癖そのままです。目の前に、小さな私がいました。

子どもは、親の言葉の中身よりも先に、言い方と、その奥にある「前提」をコピーするんだなと思いました。今日は、自分の言葉に知らないうちに紛れ込んでいる、その前提の話です。

目次

棘のある言葉は避けていたつもりだった

私は、わかりやすく子どもを否定する言葉は、できるだけ使わないように気をつけてきたつもりでした。

「また失敗したの」とか、「どうせやらないでしょ」とか、「お姉ちゃんはできてるのに」とか。棘のある言葉、比べる言葉。このあたりは、口にすると自分でも嫌な感じがするので、わりと避けられている気がしていました。

でも、ひとつだけ、毎朝のように言っている言葉がありました。

「早くして」です。

これは棘のない、無害な言葉のつもりで使っていました。でも、子どもの口から返ってきたのを聞いて、あらためて考えてみると、けっこういろんなものが詰まっていることに気づきました。

まず、「早くして」には、次に何をどうすればいいのかの情報が、ひとつも入っていません。ただ焦らせているだけで、子どもからすれば「何を急げばいいのか」がわからない。伝わるのは「お父さんが不機嫌だ」という空気だけです。

そしてこれは、質問でも提案でもなく、ただの号令でした。考える余白のない、上から下への一方通行。それを毎朝、無自覚にやっていたわけです。

質問の顔をして、前提が入ってくる

言葉には、質問のふりをして前提を運んでくるものがあります。

「また散らかしたの?」と聞くとき、形は質問ですが、中身は「あなたはいつも散らかす」という決めつけです。「なんでできないの?」も、「できないのが当たり前」という前提の上で話している。聞いているようでいて、答えはもう決まっている。

あとで知ったのですが、こういう前提を含んだ問いかけは、聞かれたほうが前提のほうを無意識に飲み込んでしまうのだそうです。「また」と言われた子は、「自分はまたやる人間なんだ」というラベルを、質問のかたちでそっと受け取る。

こわいのは、言っている親のほうにも、同じ前提ができてしまうことです。「この子は散らかす子」と一度思うと、散らかしている場面ばかりが目に入るようになる。片付けている場面は、なぜかカウントされない。人は、自分の思い込みを裏づける情報を無意識に集めてしまうので、「やっぱりこの子は」がどんどん強化されていきます。子どもにラベルを貼っているつもりが、自分の見え方まで縛っている。

貼ったラベルの方向に、子どもは歩いていく

言葉のラベルは、貼った方向に子どもを連れていきます。

「この子は人見知りだから」と紹介され続けた子は、人見知りでいることを覚える。「だらしないね」と言われ続けると、だらしなさが自分の一部になっていく。本人がそうだからラベルを貼るのか、ラベルを貼るからそうなるのか、だんだん分からなくなります。

最初に置いた言葉が、その後の基準になることもあります。「あと5分でおしまい」と言えば、5分が当たり前の物差しになる。逆に「ちょっとだけね」の「ちょっと」が、いくらでも伸びていく家もある。最初の一言が、そのあとのやりとり全部の錨になってしまうんです。

どれも、誰かを傷つけようとして使っている言葉ではありません。むしろ、よかれと思って、あるいは無意識に、口から出ている言葉ばかりです。だからこそ、たちが悪い。

言い換えるより、まず気づく

では、どうするか。私が最近、意識して変えようとしていることを、いくつか書きます。完璧にできているわけではなくて、気づいたら直す、の繰り返しです。

ひとつめは、号令を、次の一手に変えること。「早くして」ではなく、「靴を履いたら、出られるね」。何をすればゴールなのかを、具体的に置く。あるいは「歩く? 走る?」と、小さな選択にしてしまう。自分で決めた感が残る言い方のほうが、命令されるより子どもの足は動きます。

ふたつめは、否定形を、肯定形にすること。「走らないで」より「歩こうね」。人の頭は否定の処理が苦手で、「走らない」と言われると、かえって走るイメージのほうが残るそうです。だったら、してほしい行動を、そのまま言葉にしたほうが早い。

みっつめは、過程をほめること。これはわりと前からやっていて、結果ではなく「どう考えたか」をほめると、子どもが得意げな顔をします。

「センスがいいね」は、ほめているつもりで

ただ、ここで最近、自分でひっかかったことがあります。

私はよく「センスがいいね」と言うんです。過程をほめているつもりでした。でも、よく考えると、これは少し違うかもしれない、と。

「センスがいい」は、努力や工夫ではなく、生まれ持った才能のほうをほめる言葉です。以前、別の記事でも書きましたが、能力をほめられた子は、「次もその才能を見せなきゃ」と、失敗しそうな挑戦をかえって避けるようになる、という話があります。「賢いね」「頭がいいね」と同じ筋で、「センスがいいね」も、よかれと思って、固定したラベルをそっと貼っているのかもしれない。

じゃあ、どう言えばいいのか。同じ場面でも、「その色の組み合わせ、どうやって思いついたの?」と聞けば、ほめている対象が、才能ではなく、その子が考えたプロセスのほうに移ります。「センスがいい」を「考えたね」に翻訳するだけで、向いている方向が変わる。これは、自分のこれからの宿題です。

こうやって並べてみると、結局のところ、言葉で誘導しすぎないというのは、子どもに自分で決める余白を残すことなんだなと思います。先回りして指示を詰め込むほど、子どもの考える隙間はなくなっていく。

同じことが、夫婦のあいだでも起きている

ここまで子どもの話をしてきましたが、まったく同じことが、夫婦のあいだでも起きています。

「なんで、いつも〜してくれないの?」は、子どもにかける前提質問とそっくりで、「あなたはいつもしてくれない」という決めつけを運んでいます。言われたほうは、お願いの中身より先に、前提のほうにカチンとくる。

これを「〜してくれると、助かるな」に変えるだけで、同じお願いが、まるで角の立たないものになります。家族の関わり方というのは、相手が子どもでも大人でも、案外おなじ仕組みで動いているんだなと思います。

気づいて立ち止まれる親でいたい

こうして書いてくると、正しい声かけのテンプレートを丸暗記しなきゃいけない気がしてきますが、たぶん、そうではありません。

言葉そのものを完璧に言い換えることよりも、自分の言葉にどんな前提が入っているかに気づくことのほうが、ずっと先です。「あ、今、決めつけたな」と気づいた瞬間に、もう少しだけ、言い方が変わる。それで十分なんだと思います。

あの朝、子どもの口から返ってきた「早くしてよ」は、たぶん私への、いちばん正直なフィードバックでした。子どもは、私が思っているよりずっとよく、私の言葉を聞いている。だったら、聞かれて困らない言葉を使いたい。

完璧じゃなくていいから、気づいて立ち止まれる親でいたいな、と思っています。


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